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2014年03月25日

あの日【in a car jam】

同僚と別れ、ご一行は北へ。

会社を出ればすぐ大通り。

完全な環状線ではないが東京を支える大動脈の明治通り。

その大動脈まで出る100mの距離に、この地域ならではの女性達の一塊が外で何やら話し込んでいる。

スキニージーンズにニットを合わせ肩口が大きく開いたセクシー系オネェ様や、

ショートコートに大き目ニットにふんわりスカートのフェミニンな装いの萌え系の女の子。

細身のジーンズにヒールトレンチコートの下には白いシャツにマフラーを巻いた洒落たカジュアルな装いのお三十路さんや、

プリントのタックスカートにまだまだブーツよのエレガンスな装いから抜け出せないバブリー世代。

それにこの業界お得意の全身真っ黒一部白できめたギャルソン風のおばさま。

おしゃれさんのみんなの頭にはニット帽でもなければハットでもない、

キャップでもなければハンチングでもない。

かぶっているのは防災頭巾である。

三角に尖がった頭巾をみんながしている姿は、戦時下のもんぺ姿の女性と変わらないじゃないか。

当時よりも化粧もよく・・・・いや、体系もスレンダーになり綺麗になっているにせよ、

その綺麗なアパレルの女性たちが、戦時中の女性に見えてしまったのは俺だけなのだろうか。

髪型やファッション、体系や言葉遣いが変わった(進化した)。

大和撫子も根本は日本人、変わらないのだと感じた。

その一塊を通り過ぎる際に『プッ』と思わず吹いてしまった。



その新しい大和撫子の一塊を抜けると、今度は光が交じり合う喧騒な感じになる。

赤いライトの列は遥か彼方まで上下し左右蛇行しながら続いている。

反対を見れば白いライトが同様に続く。

片側二車線の大通りはびくりとも動く気配がない。微動だにしない。

ただただライトが車の尻を照らしながら停まっているだけである。

交差する枝道も大通りに出ようとする車の順番待ちの長蛇の列。

大渋滞である。大混乱である。いや大停車中である。

歩道にはスーツの異様な群れが左側にも右側にも。

黒っぽい大勢の人が、規則正しくあふれながら隙間なく列を作り動いている。

イモ洗い状態、ぎゅうぎゅう詰め、通勤ラッシュ、おしくらまんじゅう・・・・・

通勤ラッシュ時の乗り換え連絡通路よりもさらに混んでいて、自分の周りは人一人分のスペースしかない。

自分のペースでは歩くことはできないので疲れることは覚悟した。

さきほどもそうだったが仕事柄、人を観察してしまうのは癖となっている。

助平心ではないのだが、どうしても見てしまうのは女性。

ある女性はテーラージャケットに白シャツにマフラーを巻き膝丈スカートの営業スタイル。

寒くても3月。無理してでも春の装いを頑張ってしまうのが女性である。

薄着の女性が目立つ。

その営業スタイルの女性を上から舐めるように目線を上から下へ。

目を下にやるとなんとスリッパ。

『この人、新幹線とかで長距離移動の時はスリッパに履き替えるんだな。
鞄にはスリッパをいつも入れてるんだろう。
出張で泊まったホテルの使い捨てスリッパを鞄に仕舞い込んだに違いない。
若そうに見えるが、やっぱりおばさんだ。』

など憶測する余裕さえこの時点ではあった。

ヒールはバッグに仕舞い込み、仕舞っていたスリッパに履き替え、歩く事を決めた中の一人だった。

ちょうどその時、JR中央線のガードをくぐるあたり。

千駄ヶ谷駅から代々木駅にかけてカーブしているポイントで、右手には新宿御苑、左手後方には明治神宮の裏参道。

あとから聞けば、新宿御苑が避難場所となっていたとのこと。

全くそんな情報は知らなかった。

気づけば徐々に白や黄色のヘルメット姿のスーツ組が増えていた。

工事現場は無いのに。工事現場かというぐらいに。しかもネクタイしてるし。

携帯電話はつながらない。

時折かけるもつながらない。

人の流れに流されるまま歩き、普段は数分で着く新宿まで何倍もの時間が掛かった。

でも車で移動するより倍、10倍、20倍、30倍・・・・1万倍早かったかも。

新宿の東急ハンズ付近でArt BlakeyがMoanin'をいきなりやりだした。

ご機嫌なJAZZがポケットから聞こえてくる。

神田に店を構える義理の弟からの奇跡的な電話だった。

車で店に来ていたとのことで、迎えに行くと言ってくれたがこの大渋滞・・・いや多重縦列駐車。

神田から新宿まで空いていれば20分、普通でも30分ぐらいだが今日は何分、いや何時間掛かるか予測がつかない。

状況は多分向こうも同じだろう。

多重縦列駐車になっているに違いない。

スーツは着ているが工事現場のようなヘルメットのおしくらまんじゅうになっているに違いない。

スリッパを履いている若いおばさんがいるに違いない。

歩いて帰ったほうが早そうだ。だけど繋がらない中、何回も電話を掛け続けてくれたに違いない。

それが嬉しい。心配し気を使ってくれている。自分は面舵いっぱいに舵を切ることにした。

ご一行の連れに詳細を話し、遠回りになることを告げ、同行するか最短距離を歩いて帰るか選択させると、

寒さに負け暖をとれる車がいいということで同行するとのことだった。

東急ハンズを過ぎその先の交差点は新宿通り。ここもも右も左も多重縦列駐車になっている。

この先の靖国通りを右に曲がるか、ここを曲がるか考えたが明治通りの人の多さにまいり新宿通りを右に曲がる。

明治通りでは北上する人がほとんどであったが、新宿通りに入り人の流れは一方通行ではなくなる。

人が入り乱れる流れとなり外苑西通りを抜けるまで歩道も狭く、さらに歩きづらい状況となってしまった。

ただ靖国通りもこの感じだと変わらんだろうし、四谷三丁目までの辛抱。

左手は新宿二丁目。この町も相変わらずで歩道の喧騒と違う騒ぎ方を店の前でしている。

普段は店先でなんて騒いでいないのにと思いながらサンミュージック(四谷四丁目)交差点に向かう。

狭い歩道で肩と肩はぶつかり合うが、知らない者同士のお互いいなすように肩を引きダメージを少なくする。

なんとなくお互いの気配りしあいながら歩いているようであった。

この混雑した狭い歩道を、小さな手を絶対離さないぞといわんばかりにしっかりと握るお母さんが西方面へ。

どこかへ出かけて帰れなくなったのだろうか、足早に歩いて通り過ぎる。

お腹を両手で抱きかかえ、大丈夫よ大丈夫よとお腹の中のあかちゃんに言い聞かせているように歩く妊婦さん。

この寒空に大きなお腹でどこまで歩くのだろうか。

我が家の子も産まるまで母体は絶対安静が2か月ほど続く日もあったので、このような妊婦さんを見ると心配で心配でしょがない。

他人事に思えずつい声を掛けてしまった。

『大丈夫ですか?どちらまで?』

反対方向でまだまだ距離はあった。『気を付けてくださいね』としか言えなかった。

気丈にもそのお母さんは、『大丈夫です。ありがとうございます。』と言って前に突き出したお腹をさすりながら人ごみに消えていった。

途中途中のコンビニを通りすがりにチラッと歩きながら見れば、おにぎり棚やパンの棚、食料品の棚はことごとく空。

ビールや酎ハイなど買い込み、ちょっとした空きスペースで宴会を始める人があっちにもこっちにも。

ビルの入り口付近。公園。閉まったGS。軒先・・・気づけば騒いでいる人達の声がよく聞こえる。

みんな同じ境遇なものだから変な連帯感が発生し、持ち寄った人達の数人の輪が出来上がりプチ宴となっているところもあった。

この連帯感。悪い方向に誰かが走れば一気に集団があっちにそっちに走るような気がした。

他人事ではなく悪いとは分かっていても『みんなで渡れば怖くない』心理で、

一気に皆が傾き暴走しだしたらもう止まらなかったのではないだろうかと。

日本はいい国である。太平な国である。まだまだ裕福な気がした。

四谷四丁目交差点を過ぎ歩道は太くなり少しだけ歩きやすくなる。

車の流れも車線が片側四車線になったぶんタイヤが転がるようになったかな。

新宿のごちゃごちゃした町から、少し大人がゆっくりと語らうような飲食店が目につくようになってくる。

帰れないものだから暖を求め店に入る。

腹が減っているから店に入る。

歩き疲れたから店に入る。

ただ単純に酔いたいから店に入る。

騒ぎたいから店に入る。

どこのお店も満員御礼。

稼ぎ時とばかりにお店の活気はピーク。

なんとなく大人の語らいの場に子供が混じり(業界的にヤング層を子供と表現する)

店内のテンションが徐々に徐々に異様なハイテンションとなっていてるようだった。

男も女も子供もビールやらワインやら焼酎を片手に、下心丸見えな感じがウィンド越しにヒシヒシと感じられた。

ご一行は四谷三丁目の交差点を左折することをやめ、四ツ谷駅まで直進する。

相変わらずお店はどこもかしこもいっぱい。酒の席を楽しんでいる。

大きな笑い声をあげながら恵比寿顔のお調子者。

両手を叩きながら大口開けて笑う女子。

手を握り合いながら顔を近付け接近戦を開始するカップル。

うだを巻き始めるサラリーマン。

平和そのものの様相は変わらない。変わらないんだが・・・。

四ツ谷駅前の外堀通りを左折し市ヶ谷駅方面に進路を変える。

市ヶ谷駅周辺になるとまた一変する。

赤坂方向、飯田橋・後楽園方向、麹町・永田町方向、九段下・御茶ノ水方向から来る人に向かう人で入り乱れる人間交差点となった。

中国語や韓国語、英語やらポルトガル語?など言葉が日本語だけでなくなっていた。

一人の中国人は誰かと逸れたようで、携帯電話で必死に連絡を取ろうとして右往左往している。

リュックを背負った肌が白く背の高い短髪の男はペットボトル片手に周りを見回すだけ。

あの入り乱れようなら人と逸れておかしくないわな。

数人の中国人は赤坂方面に歩きだし、肌の白い大男はその場にしゃがみ混み、

少し派手なお洋服をめした東洋系の方は指を東西南北に差し、浅黒い人達は周りをきょろきょろするだけで動こうとしない。

国際色豊かな混乱交差点であった。

ここでご一行にもアクシデント発生。

一人が行方不明。連絡もつかない。あれだけ言っておいたのに。あそこ右だよって。

さっきまですぐ後ろを歩いていたのに、なんで居なくなるかなぁ。

もう見つけることは困難。待っていてもしょうがない。

目的地は教えてあるし、子供じゃないんだから帰るなら帰れるだろう。



とりあえずこちらは外堀を越え靖国通りに入る。

こんな時、こんな人って必ずいるんだよな。ともう一人残った連れと話しながら先を急ぐ。

靖国通りには人が多かったので靖国神社の裏を通るルートを歩く事にした。

右には三輪田学園の中学・高校、左は法政大学、その先には白百合学園小中高があり暁星高校に和洋女子高がある学校街。

これも後から知った話。

法政大学は開放して一時避難場所となっていた。

右の学校は全教室に光がともっている。

もうそろそろ夜中に差し掛かる時間となってきているのに。

それぞれの教室には誰もいないようで、中央の大きな空間に整列して大勢が体育座りした。

たぶん親が迎えに来るまで帰れないのであろう。と同僚と話しながら右を見ながら左を見ながら学校街を歩く。

あの不安そうな顔は今でも覚えている。

活字で表現できない心から不安そうなあの顔を見て、今起きている現状が普通じゃない事だと決定づけられた瞬間だった。

少しだけ歩く速度があがり先を急ぐ。

突き当りを右に曲がると、金色の玉ねぎが見え出してくる。

靖国神社を右手に見ながら再び靖国通りに入ったら少し、ほんの少しだけ人が少なくなったような気がする。

反対車線に目を向ければ救急車やら消防車やらパトカーやらの赤色灯が煌びやかに回っている。

九段会館の前である。

ここまで来るのにここまで緊急車両が忙しく騒いでいる場面に出くわしたことがなく、

何かあったのが容易に想像できた。

九段下の交差点を越えれば首都高5号線のガード下。

ここは一杯飲み屋の屋台が昔から出ている場所。

『おやじー!熱燗!』

『おやじー!おでん』

どこでもある光景である。が今回は屋台の長椅子だけではなく、屋台を囲んで酔っ払った若者達が騒ぎ立てていた。

既に酒は飲み干され出す酒すらなく、既に食い尽くされ出すおでんすらなかったみたいだがこの有様。

どこにでもある光景かもしれなかった。

九段会館の惨事も帰宅後ニュースで知ることになる。

神保町は本で有名な場所。靖国通りの両サイドはほぼ本屋。

そのほとんどの本屋さんは閉まっていたが、暗がりの店内に目をやると本が崩れ散乱していたお店も見かけた。

このあたりで尿意を催し、高校時代はこの辺が庭だったので土地勘を生かし駿河台下の消防署まで足早に進む。

消防署でトイレを快く貸していただき、消防団員に状況を伺えば酷いことになっているとしか言ってくれなかった。

自分の居住している住所と状況を説明し心配だった火災の事を聞くも、詳しいことは教えてくれなかったが、

『大丈夫ですよ』と一言だけ笑顔で答えていただいた。

多くの署員達が見守る先はテレビ画面。

食い入って観ている。

野球の日本シリーズを観ているわけでもワールドカップのファイナルを観ているわけでもない。

こちらからはテレビを観ることはできなかった。

一人の署員は腕を組み、頭を掻いている署員も。オレンジ色のつなぎを着た全員が腕を組み無言で観ていた。

さきほども言ったがここは庭。

駿河台下交差点から小川町までは本屋街から一変してスポーツ街。

ほぼスキー・スノーボードショップとなる。

ちなみに御茶ノ水駅方面に上れば楽器街となる。

義理の弟には表通りの靖国通りに駐車をすることは困難だろうと告げ、裏道のビクトリア裏の公園で待ち合わせをしていた。

消防署からは歩いて1分もかからない距離。

気付けば靖国通りは東方面に人が流れる一方通行となっていた。

消防署を出たら右に、直ぐの角をまた右へ。

待ち合わせ場所の公園脇に車は伏せをして待っていた。

ここまで歩いた時間。

よくわからない。2時間歩いたか3時間歩いたか。

とても長くは感じなかった。短くとても短く感じた。

ここからは車窓から眺める景色となる。

渋滞はどここかしこも相変わらずで、裏道に誘導してもしょうがないと思い弟任せに車を歩かせる。

神田明神を越え停車状態の蔵前橋通りを避け、蔵前橋までは住宅街の中を。

何とかオオカワを越え川向うへ。

完成間近のスカイツリーまで来た時に、車に乗っていた全員が『ここの作業員は大丈夫だったんか?』と思っていた。

見上げる限りスカイツリーは大丈夫であったが、あの長い揺れを何百メートルも上で体験した作業員の恐怖はどんなもんなのだろうか。

スカイツリーの真下に江戸和竿の名人『竿辰』さんのお店を通り過ぎ、押上駅前で同僚をと別れた。

車のラジオからは、『○○では数千人が流され、○○浜に何百という人が打ち上げられています』

『まさか。うそでしょ。大げさすぎない。夜だから見間違えてるんでしょ。過剰に報道してんじゃねーの。』

ラジオから聞いた言葉で覚えているのはこれだけ。

覚えている会話もこれだけ。

これを聞いて以降、他の会話はもう何も覚えていない。

ここからは渋滞に巻き込まれたくなかったので、住宅街を右に左に空いていそうな道へとハンドルを切りながら進み、

白髭橋を越えた所で大渋滞・大停車・大縦列駐車の混乱は嘘のようになくなり、ここから家までは15分で到着。

『ただいま』 『おかえり、お疲れさま』

安堵からか疲れがドッと出るが、寝ている幼い子供を抱き頭を撫で頬をなでやっと小さな願いが一つ叶った。

『家族の顔が見たい』

居間に入るなりテレビからは愕然とする映像が目に飛び込んでくる。

九段会館の事故のことも。



下りの渋滞は解消されていたが、都心部へ向かう車の列は変わらなかった。

あの高校生を中学生を小学生を迎えに行く車なんだろう。

上りの渋滞が解消されれば、あの不安な顔も解消されたに違いない。






お祭り騒ぎしていた何も知らないあの日の東京。




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Posted by ほら吹き男爵 at 14:36│Comments(0)思い
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